新茶初取引なのに「上級茶の取引伸びず」で思うこと

15日、静岡茶市場では新茶初取引を迎えた。最高値は清水両河内産の「やぶきた」で1Kg 88.800円の値を付けた。上級茶の注文が伸びずにいる。

本当は上級茶が売れると良いのだけれども、なかなか売れない。高くて売れないのか、魅力がないのかわからないが、売れない。ワインのヌーボー(新酒)のように、みんなが興味を持ってくれると良いのだけれど。「今年の新茶はどうだろう?」「あの地域の出来が良いようだ」などの声は聞こえてこない。

「色々とやっている」と怒られそうだが、お茶には、地域で特色を出すとかの仕掛けが必要なのだろう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

先日、磐田市のビジネスホテルに泊まる機会があった。朝食のビュッフェには、お茶とコーヒーが置いてある。コーヒーはコーヒーサーバーで、お茶は、急須で淹れるセルフサービスだった。お茶は、粉茶である。抽出に時間が要らないので合理的かとも思うが、やっぱりそんなものかと思った。全国の人が集まる茶どころのホテルなのだから、茶業組合とか、公共機関が普段使いで上質のお茶を用意しても良いのではないかと思う。最近は、お茶を全く飲まない人も多いのだから、飲んでもらわないことには、消費は増えてこないのだから。

あと、ホテルでの、結婚式や宴会の席に出るノンアルコールの飲み物と言えば、ジュースとウーロン茶が主流なのだが、お酒を飲まない人が宴席で飲むには少し寂しい。ノンアルコールビールは美味しくない。美味しい冷茶があればと、いつも思う。茶処のおもてなしとしては、シャンパン色の冷茶を飲みたい。

さて、今年の新茶はどうだろうか?興味を持っている人も少しはいる。

 

もっとも早い新茶初取引とピークを過ぎつつある藤の花

「静岡茶市場では、新茶の初取引を4月15日に開くことを決めた。前年より8日早く茶市場設立以来、最も早い」

早いことは、良いことなのでしょが冷蔵庫が発達してから、新茶の有り難味がなくなってしまいました。昨年の新茶を飲んでも一般の消費者には違いがわからないでしょう。

果物には、まだ季節感がありますが、新茶は、季節感がなってしまいました。せめて初鰹くらいの季節感が欲しいですね。

お茶の葉は、かなり成長しています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

十分、茶摘ができそうです。

今年は、桜の開花が早かったのですが、街中の花がいっきに咲いたようで、街は花で溢れています。そんな中、つつじが咲いているのに驚いたのですが、藤が満開を過ぎ、散り始めています。急に暖かくなったなったせいなのでしょうが、一説には、太陽活動と宇宙からの放射線も関係しているようです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

藤枝市の蓮花寺池公園では、毎年恒例の藤まつりが4月20日~5月6日まで開かれます。

先週末の桜まつりも桜が散った後でしたが、藤まつりが始まった頃には藤の花は散ってしまうと思われます。蓮花寺池は見てないのですが近所の藤の花が上記の写真のような状態です。純粋に、藤の花を見に行くのでしたら今週中がお勧めです。

2013fujiposter

 

なかやす園の紅茶

お茶の産地で有名な静岡県島田市伊久美。JR島田駅からバスで40分ほどの山間の地区です。伊久美地区の紅茶は、斎藤さんの伊久美工夫(いくみこんふ)が有名です。同じ伊久美でも「なかやす園」さんは正統派緑茶で有名です。緑茶のバイブルと言われている故波多野公介氏の著書の中で一貫して「なかやす園」の在来種を推奨されています。

その「なかやす園」の紅茶です。名前もシンプルに「紅茶」です。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

シンプルでおいしい紅茶です。確証はないですが在来種から作られた紅茶だと思います。

和紅茶の原点のようなシンプルですが、しっかりした味、香りを兼ね備えている紅茶です。和菓子に合う紅茶です。また食事にも合い、口の中をさっぱりさせてくれます。

在来種の栽培面積は年々減少しています。お茶の木が、その土地の気候風土に合うよう代を重ね変化してきたのがその土地の在来種です。野菜の在来種と同じように、芽が出るのが不揃いであったり、遅かったりするので、生産性の高い「やぶきた」種などに取って代わられてしまいました。在来種は、扱いにくく、下級品のイメージが付いてしまいましたが在来種こそ本来高値で取引されるべき茶品種ではないでしょうか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

都会と同じやり方では地方は復活しない

都会の本社の論理では地方の小売は蘇ることができない。

siatle

 

とある地方スーパーの衰退

 

消費者と小売に関するツイートの触発されたので、スーパーで魚屋やってた頃の話をする。私が魚屋として働いていたのは九州某県にある地場スーパーで、当時は生鮮食料品についてはなかなかいい評価を頂いていた。大儲けはしてなかったが堅実に稼いではいたはず。割と高級路線で、支店が70くらいあった。で、正月三が日は休みだった。九州ではおせち料理に鰤が欠かせないので、年末は鰤が売れる。飛ぶように売れる。よって年末の水産物売り場は戦場だった。夜が明けないうちから日暮れまで、ひたすらあらゆる鰤商材を売り続ける。私が働いていた頃くらいから、スーパーは年中無休というのがトレンドになりはじめた。そんな矢先、うちのスーパーは売却された。業績が悪かった訳ではない。親会社の百貨店が潰れかけていて、唯一優良物件だった子会社を売り飛ばしたのだ。買収したのは、全国展開していて誰でも知ってるスーパーS社だった。ただ度し難い赤字と売り上げ不振に苦しんでいて、世界最大の小売業者W社に買収された直後という会社だった。本社が赤羽にあったので、当時我々はS社を「赤羽」と呼称していた。九州の地場スーパーの魚屋から見れば、赤羽の連中は何も分かっていない馬鹿揃いだった。その割に、プライドはやたら高く「現場は本社の指示に従ってればいい」という態度を絶対に崩そうとしなかった。それはともかく、赤羽は24時間365日常時営業とかいうことを言い出した。買われた側としては抵抗できなかったが、しかし末端の魚屋が考えてもこれは何の利も無い施策としか思えなかった。少なくとも365日店が開いていれば、年末商戦の意味は薄れる。売り上げだって下がるだろう。その分正月に売れるかといえば、恐らくそうではあるまい。むしろ正月に発生する廃棄分の方が多くなりはせんか。赤羽は「年末商戦の売り上げは従来通り、正月も新春特売掛ける」というような矛盾した事を平気で押しつけてきた。んなこと出来る訳がない。結果従業員は疲弊し、廃棄はかさみ、売り上げは落ち、利益も落ちた。お客さんも店も誰も得をしなかった。それからしばらくして私はそのスーパーを辞めて東京に出てきたが、帰省してかつて働いた店を見る度に悲しい思いをしている。かつてはお客さんから一定の評価を得ていたものを、今じゃ出来損ないの安売りスーパーとなってしまった。お客さんが何を望んでいたのか、まるで見えていなかったのだ。生鮮スーパーに常連として足を運んでくれるお客さんは、別に24時間365日営業なんて望んではいない。それよりもいい品をそれなりの価格で買えること、従業員の対応が良いことを望んでいたろう。しかし会社の偉い人たちは勝手にお客さんの要望を忖度し、大失敗した。小売が苦境に陥っているのは、お客さんの我が儘のせいとばかりは言えないだろう。お客さんの欲求を見当違いに斟酌して訳の分からない事を重ねた結果なんじゃないのか。まあ、会社側からすれば努力は無駄ではないのだ。人件費はタダなだもの。まあそこまで言わずとも、当時会社の偉い人からこんなことを聞いたことがある。「いや、お前の言うことは分かる。恐らく益率は下がるだろう。コスト考えると結果として損になるかもしれない。しかし、営業すれば取れる売り上げがそこに転がっているなら取らなければならない、と考える奴もいるんだ」 帳簿見ながら損益計算しようという発想はそこには無い。というか、そういう理詰めの考えを「そんなこと言う前になんで正月営業しない。営業機会逃しておいて言い訳するな。そんなことはやれるだけのことをやってから言え」と一蹴する世界だった。そりゃ、苦しくもなるわな。あの時期、「日本の伝統と従業員の生活の為、うちは正月営業はしません」とでも広告打った会社が一つでもあったのだろうか。どっかやればよかったのに。

 

昨年の大晦日の夕方、スーパーでの叩き売りを期待しながらて行ってみたが、何も安くなっていない。「年中無休で明日の正月元旦から営業するから安売りする必要も無いのだろう」と単純に思っていたが、スーパー側にも利益はあまりないのだろう。「一年の計は元旦にあり」ということで元旦には、極力お金を使わないようにしている。日常の便利さと引き換えに楽しみをなくしてはいるのではないか。正月気分が最近は薄らいだようだ。元旦くらいは、お客様の楽しみと、従業員の為にも休んだ方が良いのではないかと思う。

 

山形県酒田市のデパート「清水屋」は都会の親会社が撤退したあと、地方には地方のやり方があることを証明した百貨店である。このような例を参考に地方の中心商店街も復活できると思う。

 
静岡県では、静岡市と浜松市がよく比較される。静岡市は中心街の商店街が残っており、浜松市の中心街の商店街は壊滅的である。違いは何か。静岡市街地はコンパクトだが浜松市は商店街が郊外に広がり店舗が点在している。浜松市には郊外のショッピングモールが数多くあるが静岡市にはあっても徒歩圏内(だいぶ辛いが)である。最近静岡市では町の外れにあった映画館街が引っ越したことにより周辺の七間町の人通りが減りシャッターが下りた店舗が増えた。さらにコンパクトな街になろうとしているようだ。浜松市はモータリゼーションの波に乗ったが静岡市は取り残された。

良い悪いは別にしても車社会の波に押され、シャッター通り商店街は増え、郊外のショッピングモールも増えていった。車社会の光と影と言ってしまえばそれまでだが必ず生活弱者がしわ寄せを食ってしまう。

 

日本の紅茶 最盛期

昭和初期に日本の紅茶は、全盛期を迎える。紅茶生産国のインド、セイロンなどが昭和8年より5年間国際茶輸出制限協定を結び茶の輸出の制限をした。これは世界恐慌のあおりを受け紅茶の在庫が生じていた生産国が、在庫と価格を調整した結果により消費国は、協定に加盟していない安価で入手可能な日本の紅茶を輸入した。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

しかしながら、輸出制限協定が解除されると日本の紅茶輸出量は減少していった。さらに第二次世界大戦突入と共に、減少に拍車がかかった。

戦後、生産国の荒廃もあり、紅茶の生産は復活していく。しかし昭和29年をピークに国内の緑茶の需要の拡大、生産国の復興などにより紅茶の生産、輸出量は急激に下落して行った。昭和46年の紅茶輸入自由化により国産紅茶の見る影はなくなってしまった。

これらのことにより、日本の紅茶は価格に見合った品質であったのかが疑わしい。世界品質の紅茶もあったが、どちらかと言うと流通量が不足した時、日本の紅茶はもてはやされたようである。国産紅茶の品質の安定は現在でも問題であり、生産年、生産者により品質のバラツキが多すぎるように感じる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

百年原木の高草紅茶の茶園

高草紅茶は、日本紅茶最盛期の頃の茶樹で現在も紅茶を生産しています。

当時に作られた 茶畑は、牧の原で見られるような一般的なカマボコの形をしていません。真っ直ぐに植えられていないのが写真でもわかりますが、このため効率の良い機械が使えず、平刈りという方法で刈り取りを行います。その関係で刈り取った上部が平らになります。

お茶の木は、30年程度で生産性が落ちてくるために植え替えが行われます。その改植も行われず、これだけ古い茶畑が残っている場所は静岡県内でも私の知る限りではありません。大茶樹のように1本だけの古いお茶の木はありますがね。