日本の紅茶 最盛期

昭和初期に日本の紅茶は、全盛期を迎える。紅茶生産国のインド、セイロンなどが昭和8年より5年間国際茶輸出制限協定を結び茶の輸出の制限をした。これは世界恐慌のあおりを受け紅茶の在庫が生じていた生産国が、在庫と価格を調整した結果により消費国は、協定に加盟していない安価で入手可能な日本の紅茶を輸入した。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

しかしながら、輸出制限協定が解除されると日本の紅茶輸出量は減少していった。さらに第二次世界大戦突入と共に、減少に拍車がかかった。

戦後、生産国の荒廃もあり、紅茶の生産は復活していく。しかし昭和29年をピークに国内の緑茶の需要の拡大、生産国の復興などにより紅茶の生産、輸出量は急激に下落して行った。昭和46年の紅茶輸入自由化により国産紅茶の見る影はなくなってしまった。

これらのことにより、日本の紅茶は価格に見合った品質であったのかが疑わしい。世界品質の紅茶もあったが、どちらかと言うと流通量が不足した時、日本の紅茶はもてはやされたようである。国産紅茶の品質の安定は現在でも問題であり、生産年、生産者により品質のバラツキが多すぎるように感じる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

百年原木の高草紅茶の茶園

高草紅茶は、日本紅茶最盛期の頃の茶樹で現在も紅茶を生産しています。

当時に作られた 茶畑は、牧の原で見られるような一般的なカマボコの形をしていません。真っ直ぐに植えられていないのが写真でもわかりますが、このため効率の良い機械が使えず、平刈りという方法で刈り取りを行います。その関係で刈り取った上部が平らになります。

お茶の木は、30年程度で生産性が落ちてくるために植え替えが行われます。その改植も行われず、これだけ古い茶畑が残っている場所は静岡県内でも私の知る限りではありません。大茶樹のように1本だけの古いお茶の木はありますがね。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です