日本の紅茶 再開期

大正時代、第一次世界大戦が勃発すると茶生産国(東洋)から、消費国(西洋)への輸出が滞り、日本茶輸出は好況を呈した。

大正6年には大谷嘉兵衛らの手により、「日本紅茶株式会社」が静岡市に設立された。このことにより日本紅茶の生産、輸出体制が整えられた。

しかしながら、第一次世界大戦終結後には、インド、セイロンの紅茶が復興し、消費国に大量に流れ込み日本の紅茶は再び低迷期に突入してしまった。

この頃、大正7年には、静岡にゆかりのダンカン・ジョセフ・マッケンジーが来日し貿易商社A.P.アーウィン商会の日本支社で日本茶の輸出拡大と静岡茶業の発展に貢献した。

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静岡市高松海岸にある旧マッケンジー邸は、アメリカンスタイルの洋館で、大型電気冷蔵庫、ガスレンジなど、当時ほんとにあったのかな?と思わせる装備を兼ね備えている。スパニッシュコロニアルという形式の建物である。

再び、低迷期に突入した日本の紅茶は、昭和初期に最盛期を迎えることになる。

 


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