日本の紅茶

静岡市駿河区丸子の長源寺に多田元吉氏のお墓があります。
その下に日本紅茶の原木があります。
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多田元吉さんは徳川家の幕臣でしたが明治になり静岡丸子でお茶の栽培を始めていました。
明治8年清国へ派遣され栽培や製造法を調査し、機器や種子を持ち帰りました。
明治9年今度はインドに赴きます。
日本人として初めてダージリンやアッサムなどの奥地に入り、栽培、製造、経営法、アッサム種をはじめとする種 子の収集などを行って日本へ持ち帰りました。
帰国後は全国各地を飛び回って知識を広めました。
このような経緯から 静岡は最盛期の昭和30年には国産紅茶の約96%を生産しました。
昭和46年に紅茶の輸入規制がなくなり外国産の紅茶が大量に輸入されるようになり、
国産茶葉の生産はほとんどなくなりました。
近年、丸子紅茶の村松二六さんらの努力により生産量が増えつつあります。
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お墓のさらに下側の起樹天満宮には多田元吉翁碑が建てられています。


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